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平成21年度協定校訪問(込山真貴子/安全システム建設工学科1年)

 9月6日から12日まで、協定校訪問に行ってきた。私は今まで韓国に行ったことがなかったため、この日をとても楽しみにしていた。
 岡山空港から飛行機に乗り、11:30頃ソウルのインチョン空港に到着した。バスに乗ってセジョンホテルに向かった。そのバスの中ではテレビが流れていた。テレビはもちろん韓国語だ。それを見ていると「韓国に来たんだ」と実感することができた。セジョンホテルは予想以上にきれいなところであった。ホテルマンの方はみな日本語が上手でとても驚いた。
 ホテルに着き、1年だけでファッションビルの地下のお店で石焼ビビンバを食べ、その後みんなと合流し、向かった先はソウルの人工河川「清渓川」。想像していた以上にきれいな川であった。水も透き通っており、魚が何匹も見られた。もともと汚れていた川とは思えないほどのきれいさであり、癒される空間であった。清渓川からミョンドンに向かう途中に伝統音楽を演奏している人たちを見た。
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 ミョンドンは今、日本でも人気のある観光地だ。屋台が並び、ファッションやコスメのお店がたくさん並んでいる。とても賑やかで、どこへ行っても周りには人だらけ。買い物をするにも、移動するにも一苦労だったが、それが韓国らしいような気がしてとても楽しかった。客引きのためか、日本語も多く飛び交っていた。夜遅くになっても店はなかなか閉まらない。ソウルは夜でも元気な街であった。「まだ8時ごろかな」と思っていたら10時を過ぎていたりと、時間の感覚が麻痺してしまうほどであった。
 
 2日目は南ソウル大学を訪問した。私は英語に自信がなく、とてもドキドキしていた。しかし、今回交流をした生徒の人たちは日本語を勉強しているため、日本語で話しをすることができた。そこの大学では、ホテルマンになるための学部がある。そういったところで、セジョンホテルの方たちは日本語などを学んだのかもしれない。私はこのような学部があることに驚いた。日本にもどこかにはあるのかもしれない。しかし私はそういった学部が大学にあるとは知らなかったのでとても驚いた。南ソウル大学には、その学部の生徒たちのためにホテルもあるというからすごい。体育館は国際大会ができるほどの広さがあり、プールではダイビングの資格が採れる。また建築の学部の方では、1年の時に自らデザインしたものを実際に形にし、展示するそうだ。この大学は、生徒が「やりたい!」と思えるようなことが一杯詰まっている学校だと思った。
交流をした生徒の人たちはとても日本語が上手で、話しがはずんだ。交流の時間はほんの少ししかとれずとても残念だったが、楽しい1日を過ごせた。また会える時があれば、私たちの大学についても、もっと知ってもらえたらいいなと思う。
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 3日目4日目はテジョンにあるハンバット大学を訪問した。ハンバット大学ではグループを作り、交流をしていった。まずはグループの人へ挨拶をした。中には日本語を学んでいる人もいたが、ほとんどの人は英語の方が得意であった。だから私は一生懸命英語で会話をした。しかし、単語が分からないことで伝えたいことがなかなか相手に伝わらなかったり、また私の聞き取る力がないために何度も聞き返してしまったりと、会話がスムーズに進まなかった。その時私は「英語の力」がない自分がとても悔しかった。

 挨拶を終えた後、みんなで晩ご飯を食べに行った。行った先は豚の焼き肉屋だった。韓国での焼き肉の食べ方はおもしろかった。サニーレタスに肉や青じそ、焼いたキムチを入れ、巻いて食べる。初めは、キムチが入っているので辛いのだろうなと思っていたが、実際に食べてみるととても食べやすくおいしかった。キムチは焼くと辛さが減るのだそうだ。
焼き肉屋でハンバットの生徒とは別れ、私たちはハンバット大学の寮に行った。テジョンでは2日ともハンバット大学の寮に泊まった。

 次の日はハンバット大学の見学をされてもらった。強度の高いコンクリートや学生の作った都市の設計図、海洋学で使っている機械など、いろいろ見せてもらえた。学生の作った都市の設計図では、風通しをよくしたものや、大きな河川を中心に考えられたもの、ビルの形までこったものなどたくさんあり、見ていてとてもおもしろかった。見学を終え、食堂で昼食を終えた後、みんなでテジョンを観光した。先端科学館、日本では東大のレベルに値する大学KAIST、お金の博物館の3か所を回った。その後、晩御飯へ行った。ハンバットのみなさんとは最後の食事であった。英語に慣れてきたのか、私は前日よりもたくさん英語で話をすることができていた。食事を終えた後に岡本先生のお話があった。先生はその時に、カメラのフラッシュをLEDのついた板に当てるとハート型の光が出るという出し物を披露してくださった。LEDのすごさを感じ、同時にとても感動した。おもしろいものが見えてよかった。
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 食事のあとはグループごとに分かれて遊んだ。私たちのグループはハンバットの生徒がよく行くという街に行き、カラオケへ行った。日本のカラオケルームとは違い、中がとても派手であった。赤や黄色や青のランプが歌に合わせて光るのだ。韓国では派手さがカラオケ界の勝負どころらしい。日本の曲もたくさん入っていてビックリした。カラオケも終わり、みんなとの別れの時が来た。2日間も一緒にいたのでとても別れが寂しかった。ハンバット大学は国立なのにとても広く、校舎もいっぱい建っていた。また学校にいる生徒はみんな元気で楽しそうであった。そして何といっても交流をした生徒のみなさんがとても優しかった。私は英語が苦手なためとても不安いっぱいで、つまりながら話すことが多く、通じていない時もたくさんあったと思う。しかしみなさんは一生懸命私の話を理解しようとしてくれた。へたくそでもいいから頑張って話そう、そう思えるようになったのはハンバットのみなさんのおかげだ。また会える時があるなら、その時までには今以上に英語がスラスラ話せるようになっておきたい。そして、あの時にはできなかった話をたくさんしたい。

 5日目はテジョンを離れ、プサンに移動した。
 6日目は韓国海洋大学を訪問した。1つの島が大学の土地という、とても広い学校である。この学校では始めからグループに分かれ、1日中自由行動をした。私たちのグループはまず大学の敷地内の海岸を見に行った。地面は砂ではなく、大きな石がたくさん散らばっていた。海の水はとてもきれいだったが、危ないところらしく、泳いではいけないらしい。その後は地下鉄に乗り、国際映画祭が行われた映画館を見に行った。映画館がある通りには多くの店が並んでいたのでついでにお店を見て回ることになった。通路には屋台で食べ物を売るおばあさんなどがいて、とても韓国らしい風景であった。昼食では焼き飯やへ行った。どの種類もやはり辛かったが、6日も辛い物を食べ続けていたことで少し辛さに慣れていた。その後、ボーリングをしに行くことになった。ボーリング場には誰もおらず、貸し切り状態のようになった。2つに分かれて対決したり、ジュースをかけて勝負したりしたのでとてもおもしろかった。ボーリングの後はまた地下鉄に乗った。次に向かったのは韓国で一番大きいといわれているビーチだ。そこは本当に広く、砂も柔らかかった。海を見ると大きな橋もかかっていた。その後は近くのロッテに行ってみんなと話をした。日本の芸能人や韓国の芸能人のこと、学校のことなど、たくさん話をすることができた。夜になり、他のグループとも合流して晩御飯を食べに行った。そこでもたくさん話をした。その時、ふと気づいたことがあった。この日は今までで一番英語が聞き取れていたし、話すことができていたのだ。耳が英語に慣れるってこういうことなのか、と感じることができた。そして英語が少しだが前よりもできるようになっている自分に感動した。

 食べ終わった後、またビーチに戻った。ライトアップされた橋がとてもきれいだった。グループの違った人たちとも話しをすることができた。時間はあっという間に過ぎ、帰る時が来た。海洋大学の人たちとは1日しか一緒にいられなかったが、1日中自由行動ということもあって、とても仲良くなれた。その分「もっと遊びたいな」という気持ちが大きく、別れるのが辛かった。今度はいつ会えるのだろうか。韓国に行った時には会いに行きたい。そしてもし日本に来た時には、私がみんなを案内できたらいいと思う。
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 一週間はあっという間で、もっと韓国にいたいと思うぐらいとても1日1日が充実していた。今回の訪問では韓国の文化、協定を結んでいる学校のことを学ぶことができた。そして何よりも国際交流の楽しさを知れた。伝えたいことを伝えられなかった悲しさ、英語で伝えられた時の喜び、両方感じることができた。この経験をバネにし、これから英語の勉強を一生懸命していこうと思う。そして来年の今頃には、もう悲しさを味わうことなく日常会話がスラスラできるようになっておきたい。
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