9月6日から9月12日まで、5名の教職員と12名の工学部学生からなる訪問団が香川大学交流協定校である韓国の3つの大学、南ソウル大学校、ハンバット国立大学校および韓国海洋大学校を表敬訪問した。訪問団のメンバーは、岡本研正教授(団長、韓国海洋大学校担当)、松島学教授(南ソウル大学校担当)、和田隆広准教授(ハンバット国立大学校担当)、尹禮分准教授(派遣団補佐?通訳)ならびに国際交流担当の西岡愛教務職員5名の教職員と、安全システム建設工学科、知能機械システ工学科および材料創造工学科の3学科から自由参加した12名の学生(男子4名、女子8名)計17名である。幸運にも天気に恵まれ予定通り訪問日程をこなすことができた。以下にその報告を行う。なお韓国では4年制大学を大学校とよび大学は学部あるいは短大等を意味するが、ここでは大学校を日本式に大学と記すことにする。
1.南ソウル大学校 7日朝、ソウルの有名な繁華街、明洞(ミョンドン)の一角にある世宗(セジョン)ホテルに南ソウル大学校(以下NSUと記す)の青色大型スクールバスが迎えに来て大学訪問の一歩が始まった。NSUはソウルの南70kmに位置する天安(チョナン)市の郊外にあり、1993年に設置された新しい私立大学である。現在、工学部、芸術?体育学部、商経学部、人文社会学部および保健医療学部の5学部がある。バスはソウル市と釜山(プサン)市を結ぶ国道1号線を南下し天安インターから降りて1時間半で大学に到着した。大学本館会議室でNSUの案内ビデオを見たあと国際交流等の担当する部署である対外協力所の鄭憲龍所長(経営学科教授)らと面会した。香川大学と同校の交流協定が結ばれる直前の2005年5月末、私は山崎敏範工学部長(当時)の要請で同校を視察し孔貞子総長や理事長を表敬訪問したが、対外協力所のメンバーは鄭所長をはじめ4年前に私が訪れたときとほとんど同じメンバーであった。そのため妻と娘まで連れて訪問した私のことをみんなまだ覚えてくださっていて嬉しかった。大学は2学期の授業が始まっていたが、会議室には同大学が特に重点を置いている日本語学科の学生が集められていた。ミーティングの後、我々は幸いにも孔貞子(コン?チュンジャ)総長にもお会いすることができた。
昼食は、我々教職員は同大学の教職員と学外の韓国料亭で、学生グループは同大学生たちと学食でそれぞれ分かれて取った。学食を利用しての学生同士の交流は、私が今回の韓国大学訪問の第一目標に位置付けたものであった。昼食後、我々は学生グループと一緒になって図書館、体育館、学生寮、建築学科棟などを見学した。
NSUについて特筆すべきは、何といってもキャンパスの広大さ、美しさ、建物の立派さである。高層ビルはないが建物はどれも写真に収まらないほどに巨大でデザインにも考慮が払われている。その中で最もシンボル的な建物はソンアム記念中央図書館とソンアム記念文化体育館である。体育館の中のメインコートは、バスケットやバレーボールの国際試合が可能で、我々が訪れたときはバトミントンのコートが9面取られていた。観客席には1周400mのランニングトラックも設置されている。また体育館の中には数々のスポーツ施設に加え、フィットネスセンターや大型サウナも設置されている。学生寮も立派でその隣には800人が収容可能な外国人留学生のための寮が建設中であった。松島教授からのリクエストで工学部の建築工学科を見学したが、学生たちが制作した様々な傑作作品が廊下や校舎の下に置かれていたのが教育的見地からして興味深かった。
▲美しいNSUのキャンパス
▲巨大なソンアム記念文化体育館
▲アクアラング講習もある室内プール
▲立派な学生寮
▲大学本部館
NSUは私立大学としてきわめて明確な経営戦略を立て、かつそれを実行していた。つまり日本同様少子化の進む韓国にあって如何にして学生を集めるために、①巨大な人口を擁するソウル市から学生を集める、②通学手段を確保する、③就職率を高める、④寮を整備する、⑤大学生活の快適化、などに全力を注いでいる。大学紹介ビデオでは平均60数パーセントという就職難にあえぐ韓国の大学において全国トップの就職率を誇ることが宣伝されていた。交通手段の確保としては最寄りの鉄道駅や天安駅からの特別バス便に加え、ソウル市内の2つの地下鉄駅にリンクされているバスターミナルからNSU直行のバス便が設けられている。実際、NSUのバスターミナルには十台ほどの大型スクールバスが待機していた。
キャンパスの見学を終えたのち、全員が大学本部の会議室に戻って日本人学生による香川大学の英語紹介が行われた。また、自己紹介や学生の同士の意見交換も行われた。その後、大学バスでソウルのホテルまで送っていただいた。
2.ハンバット国立大学 8日朝、世宗ホテルのロビーに全員集合し3台のジャンボタクシーに分乗してソウル駅に行き、ソウル駅10時発釜山行きのKTX(新幹線列車)に乗車した。およそ1時間でテジョン駅に到着。ハンバット国立大学(以下HBNUあるいはハンバット大学と記す)があるテジョン(大田)広域市は忠清南道の道庁所在地であり、韓国では人口5番目(145万人)の特別政令都市である。その昔テジョンは農村地帯で、大きな田畑を意味するハンバット(Hanbatと表記)と呼ばれていた。日本統治下にハンバット(トの発音は短くハンバッと聞こえる)という地名に対し大田という漢字が当てられた。その後、鉄道の京釜線(ソウルと釜山を結ぶ幹線)や湖南線(大田と木浦を結ぶ)が開通して交通の要所となり急速に発展して大都市となった。日本の筑波研究学園都市構想をモデルに1973年から国家政策として科学都市化が進められ、ハイテク団地の設置、韓国科学技術院(KAIST、Korea Advanced Institute of Science and Technology)、韓国電子通信技術院(ETRI)などにより、現在、政府?民間の研究所100以上がテジョン市に集結している。1993年には科学万博も開催され、今なおシンボル的諸施設が残されている。
テジョン駅にはHBNUからバスが我々を迎えに来てくれていた。HBNUはテジョン駅の西方約10kmにあり、山岳地帯に入る手前の小さな山の裾野にキャンパスが広がっている。HBNUが4年制の大学となったのは1984年のことであり韓国ではまだ歴史の浅い大学である。学部としては学生数の8割を占める工学部の他に経商学部と人文科学部がある。テジョン市には歴史が古く16学部を要する国立忠南大学校や理工系エリート大学として有名なKAISTがあるため、HBNUは独自の地位を築こうと必死の努力をしているようである。私自身は今年4月末にテジョン国際会議場で開催された韓国物理学会に参加?発表した折HBNUを表敬訪問し、本学との交流締結において中心的な役割を果たした閔丙贊教授と金夏榮学部長(当時)と面会したことがあるので、これが2回目の訪問であった。なお「ハンバット」に対する正式な漢字表記はない。漢字表記のない大学はソウル大学とハンバット大学の2校だけだそうだ。
バスはまず我々教職員が泊るホテル?リビエラに立ち寄ってチェックインを済ませ、次に学生たちが宿泊するHBNUの留学生寮に寄って学生たちのチェックインを行った。その後、HBNUの国際交流担当の方々の案内で大学の近くにあるレストランに行き昼食を取った。このとき車東震(Cha Dong-Jin)国際交流院院長、Kwon Hyuk Sang国際交流院主任らと名刺交換を行った。昼食後バスでHBNUに戻り、大学本部の会議室で安起弘(Ahn Kee Hon)工学部長と閔丙贊教授と挨拶を交わした。HBNUの宣伝ビデオを見たあと、本学学生がパワーポイントを使いながら香川大学工学部の全体紹介を行った。私たち教職員5名は総長室に案内されSul Dongho 総長と面会した。そのあと工学部のSEMなどの機器が設備された分析室などの共同研究施設および図書館の見学が行われた。NSUほどではないがHBNUのキャンパスも広く美しく勉学環境は整っていた。図書館には日本の主な学会誌や学術誌の最新号も置かれており、ホームビデオシアターや自習室も設置されていた。
▲ハンバット大学の正門
▲学生による香川大学工学部の紹介
▲HBNU本部前にて(最前列右4人目が総長、2人目が工学部長)
▲香川大学についてHBNUの学生に説明する閔丙贊教授
図書館施設の見学が終わると私たち一同は教室に集められた。そこには20名程のHBNUの学生が待機していた。そして閔教授が香川大学の紹介や飛鳥時代からの日韓の歴史的つながりなどについて韓国語と日本語で説明した後、学生同士の交流のためのグループ分けが行われ、直ちに話し合いが始まった。有無を言わさぬ閔教授の見事な指導ぶりに感心しながら若者たちに後を託して我々教職員は教室を出た。
この日の夜、我々教職員は市内のリビエラホテルに宿泊し、学生グループは完成したばかりの外国人留学生寮に宿泊した。我々教職員とHBNUの工学部長らとの会食には金夏榮元学部長も出席された。
9日朝、ホテルにバスが迎えに来た。留学生寮に立ち寄って学生を皇冠足球滚球_皇冠球探比分-体育直播し再び大学本部へ。工学部長室に安起弘部長を表敬訪問した後、中会議室で我々一行、HBNUの国際交流担当関係者、3つの学科(材料、建築、機械)の説明担当教員ならびにHBNUの学生が一堂に会し顔合わせをしてから3グループに分かれて関連学科研究室見学が始まった。本学部学生による学科紹介も各グループの会合の中で行われた。学生の英語説明は次第に上手かつ堂々としたものになっていくのが頼もしかった。
職員会館の地下食堂で昼食を取った後、午後からはHBNUの学生との合同市内バスツアーが始まった。はじめにエキスポ科学公園の先端科学技術センターを見学し、次にKAISTを訪れた。KAISTでは説明ビデオを見た後、バスに乗ったまま広大なキャンパスを見学した。あまりの広さにみんな圧倒された。KAISTの次に同じ大徳研究団地の中にある貨幣博物館を見学した。この日夜はHBNUとの最後の交流として郊外の由緒ある料亭で宮廷料理によるfarewell パーティーが開かれた。終了後、寮に帰った学生たちはHBNUの学生たちとダウンタウンに繰り出したそうである。
10日朝10時、学生たちが先に乗り込んだバスがホテルまで迎えに来てくれテジョン駅まで我々を送ってくれた。しかしタイトなスケジュールの疲れから女子学生2名が体調を崩した。幸い午後13時発の釜山行きのKTXの発車までは時間があったので8日からずっと我々一行をエスコートしてくれたHBNU国際交流担当のHwang Seon-pyoさんがテジョン駅近くの医院を探し、西岡さんと尹先生が2人を連れて行くことができた。Hwang氏には最初から最後まで本当にお世話になった。
3.韓国国立海洋大学
KTXでテジョン駅から釜山駅までは2時間。駅には(独)日本学生支援機構の日韓大学生交流事業(21世紀東アジア青少年大交流計画奨学金[韓国]=JENESYS)で2007年10月から2008年9月までの1年間私の研究室に留学した韓国海洋大学大学院工学研究科修士2年の崔聖國(Choi Sung-kuk)君が迎えに来てくれていた。予定通り午後3時に駅前の東横イン釜山に到着。チェックインを済ませた後、体調がまだおもわしくない女子学生2名を、釜山出身の尹先生が知っている医院に連れて行き、点滴などの治療を受けると2人はけろりと快復し事なきを得た。この日はとくにスケジュールのない休養日に充てていたことは幸いであった。私は久々に再会した崔君の案内で釜山湾が一望できる影島(ヨンド)の最高峰に連れて行ってもらった。
11日午後9時にKMU工学部ナノ半導体学科の張志豪(Chang Siho)准教授が彼の研究室の学生数名を連れてホテルに迎えに来てくれた。その中には崔君と入れ替わるようにJENESYS奨学金で2008年10月から2009年3月末までの半年間私の研究室に滞在した呉承俊(Oh Seungjun)君もいた。所用のある和田准教授と尹准教授とはこの日の朝、訪問団から離れた。
韓国海洋大学校(Korea Maritime University、以下KMUと記す)は日本統治時代の1919年に設置された鎮海高等海員養成所を前身とし、日本敗戦により1945年高等商船学校となった。1947年に国立海洋大学校となり、1956年に韓国海洋大学校に校名を変更した。KMUは現在、海事学部、海洋科学技術学部、工学部、国際学部の4学部から成るが、海事学部、海洋科学技術学部いずれも工学系学科を擁するので事実上KMUは工学系大学と言ってよい。ただしその前身が高等商船学校である海事学部(正しくは海事大学)は、全寮制で衣服や寝具等が政府から貸与、支給される別格の存在である。
韓国の3つの協定大学との交流においてKMUだけは私の個人的交流の寄与するところが大きい。香川大学とKMUは工学部が主体となって2002年に交流協定が結ばれ、2004年には韓国海洋大学校の実習船がサンポートに寄港し活発な交流が行われていたが、担当の教授が退職された後は実質的な交流はなかった。2007年5月上旬に名前すら知らない張志豪先生から突然私にメールが送られてきた。彼は私のLED応用研究に前々から強い関心を持っており、またKMU内に海洋でのLED(発光ダイオード)利用研究を推進するための研究センター(後述)を設置しようとするプロジェクトがあったことから私とのコンタクトを求めてきたのだ。張先生は東北大学大学院の出身であり、その後何度も来日したり彼の研究室の学生を毎年のように東北大学に送り込んだりしていたので日本語にも堪能だった。偶然にも私は2007年5月末にソウルで開催される韓国LED EXPO 2007で併催される国際LEDセミナーの特別講師として招かれていたので、そのあとにKMUに行き講演することを張先生に提案した。
張先生はLED EXPOでの私の講演を聴きに来てくださった。そして6月1日KMUにおいてナノ半導体学科の学生および関係分野の教員を前に香川大学における私のLED応用研究に関する講演を行った。KMUが香川大学とくに工学部との交流協定校ということで、私は工学部長を表敬訪問した。これが私とKMUとの交流の始まりであった。同年7月にJENESIS奨学金制度が新たに発足したこと、またKMUとの交流協定が秋で5年の期限を迎えるということから、西岡愛さんの提案で交流協定の自動継続延長手続きの仲介と大学院生の招聘依頼を張志豪先生にお願いした。その結果、交流協定の5年自動延長が成立するとともに張研究室出身の大学院1年生の崔聖國君が派遣されてきたという次第である。こうした経緯ならびに今回の訪問は学生間交流が主目的であることをKMU側に伝えてあったので、9月11日のKMU側の応対スケジュールは国際交流教育院と張志豪准教授によって組まれたものであった。
釜山は人口400万人。韓国で2番目の大都市であり韓国最大の貿易港を有する。釜山港は釜山市本土市街と影島(ヨンド)という島でコの字型に囲まれた形となっている。影島は航空写真で見るとまるで鯛のような形をしていて、口の部分と釜山市街が釜山大橋と影島大橋で結ばれている。影島は幅3km、長さ7kmの自然島で島一つが影島区となっている。影島には標高395mのかなり急峻な蓬莱山があり、その中腹に至るまでおびただしい数の高層アパートが並んでいる。
▲朝島全体がキャンパスの海洋大学
▲影島と朝島を結ぶ海の中の一本道
KMUは影島から釜山湾の入り口を塞ぐ形に伸びた朝島(チョド)という幅400m、長さ1kmの小さな島にある。この島全体がKMUのキャンパスとなっている。朝島は長さ500mの一本道で影島と結ばれている。朝島には標高150mほどの高い山があり、その中腹近くまで大学の校舎が建っている。影島側からみると朝島キャンパスはフランスの世界文化遺産モン?サンミシェルを思い浮かばせる。前方後円墳や昔懐かしい「ひょっこりひょうたん島」の形にも見える。何台かの車に分乗した私たちは海の中の一本道を渡りKMUのキャンパスに入った。張先生は予め集めてあったKMUの学生と我々を工学部の教室に集め、いきなり日韓の学生の名前を読み上げて2名ずつ6組の学生グループを作った。これはまさに私がお願いしてあった試みである。そしてここで私たち(岡本、松島、西岡)は学生たちと離れキャンパス見学に移った。国際交流教育院院長の李潤哲(Lee Yun-Cheol)教授と面会し、古風で立派な会議室でKMUの紹介ビデオを見た。私たちはまず海事学部の操舵シミュレーション室を見学した。そこには直径20m位の300度スクリーンと船の艦橋(ブリッジ)が設置されていた。ちょうど授業中で学生がコンテナ船を港の岸壁に横付けするための操舵技術を教官から教わっているところであった。スクリーンには本物そっくりの波打つ海が映し出され、まるで本当に船に乗っているかのようであった。世界各地の港の映像ソフトが準備されていて、波の高さなども変えられるそうである。
▲韓国海洋大学の人たちと(前列左から3番目が張志豪准教授)
▲海事学部の操舵シミュレーション室(コンテナ船を着岸させる訓練の最中)
海事学部の建物の中には船の博物館があり見学した。KMUはその前身が海事学校であることから、キャンパスのメインストリートの正面の山裾から中腹に至るまで三重の城壁のように建てられた、まるでチベットのラサ宮殿のような長大な校舎は海事学部の学生寮(全寮制)や校舎であった。興味深いことに海事学部の学生は水兵のような制服を着ていた。何といってもKMUの最大の特徴は約7,000トンのハンバダ号と約4,000トンのハンナラ号の2隻の海洋練習船を持つことである。キャンパスの西岸には波止場があり両船が停泊していたが、残念なことに10日ほど前、新型インフルエンザ患者が訓練生の中に出たため内部の見学はできなかった。なおハンナラ号の方は2002年に香川大学との交流協定締結に対する表敬で立ち寄ったことがある。
KMUのキャンパスも非常に個性的で広いが、李教授によればそのキャンパスは釜山湾をも含めて世界の海に広がっているとのことであった。壮大なスケール話であるが、確かにそれは事実である。
▲7,000トンの巨大練習船、ハンバダ号
▲4,000トンの練習船、ハンナラ号 (5年前、高松港に立ち寄った)
午後からは今年3月に政府予算を得て工学部内に設置された先端海洋照明研究センター(Advanced Marine Illumination Research Center)を見学するとともに、同センター主催による私の講演「様々な科学技術?産業分野におけるLEDの応用&LED 集魚灯の開発」が行われた。夜には張先生の招待で韓国旅行最後の宴が催された。我々とは別行動だった12名の学生たちはKMUの学生と夜12時近くまで交流していたそうで、非常に楽しく盛り上がったとのことであった。
▲岡本研究室に留学した崔、呉両君の紹介
▲AMIRC主催の特別講義で講演する岡本教授
このように今回の7日間の韓国協定大学訪問はタイトなスケジュールではあったが非常に有意義なものであった。学生のみならず我々教職員も韓国や韓国の大学について多くのことを学んだ。3つの大学それぞれに個性があり、羨ましい限りの広く美しいキャンパスを有するとともに、学生たちが快適な生活を送れるように様々な環境整備が行われていた。この数十年間、日本よりも経済発展が目覚ましかった韓国が大学教育に投資した金額やその熱意は、日本のそれをはるかに上回っていたのではないかと思われた。他方、韓国の大学間競争の激しさや韓国学生の勉学意欲の高さや元気さも感じさせられた。
今回の韓国大学訪問は、日韓の学生同士の交流に主眼を置いた。各大学の担当者はこの趣旨を理解し、学生間交流のプログラムを組んでくれた。本学での事前ガイダンスにおいて、私は交歓した韓国人学生の名前やメールアドレスを必ずメモしておくよう学生に指導したが、今回の学生交流ではメールアドレスの交換を実践してくれていた。今後とも日韓の学生同士の交流が永く続くとともに交流の輪がさらに広がってゆくことを期待したい。なお今秋、JENESYSプログラムを利用してハンバット大学から材料創造工学科の須崎研究室に、韓国海洋大学から信頼性情報システム工学科の岡本研究室にそれぞれ1名の大学院生が1年間留学することをお知らせしたい。
本報告を終えるにあたり、9月からの授業開始で忙しい中、私たち訪問団のために様々な受け入れや宴のプログラムを準備してくださった、南ソウル大学校、ハンバット国立大学校ならびに韓国海洋大学校の皆様に訪問団を代表して心から御礼申し上げます。また今回の韓国協定校訪問旅行を企画するとともに各大学の国際交流担当部局と連絡を取り合って訪問プランを作成してくださった、工学部国際交流担当の西岡愛様に心から感謝の意を表します。本学部唯一の韓国出身者として参加していただいた尹禮分先生は、今回の韓国旅行において通訳のみならず、様々な予約、交渉など、非常に重要な役目を担ってくださいました。今回の韓国大学訪問を大成功に導くとともに快適な旅が送れたのは尹先生のおかげです。心より御礼申し上げます。