私が派遣されたリモージュ大学は、その名の通り、リモージュという都市にある。リモージュはフランス中部に位置し、リムーザン(Limousin)地域圏の首府、オート=ヴィエンヌ県の県庁所在地である。人口は14万人で、私の周りのフランス人曰く、「大きくもないが、小さくもない町」だそうだ。パリからのアクセスは、パリ?オステルリッツ駅からリモージュ駅までが、鉄道で4時間程度だった。料金は、約50ユーロだった。
リモージュは、磁器であるリモージュ焼の生産地であり、セラミックスの町として知られている。市街地の近くには国立陶磁器博物館があり、リモージュ焼だけでなく世界中の陶磁器が集められ、展示されている。確かに、フランス南西地域のボルドーやトゥールーズに比べると小さな町かもしれないが、古い街並みの残った市街地はとても美しく感じたし、何より、リモージュの人々はとても親切で、非常に生活しやすかった。道に迷ったり、スーパーマーケットで買いたいものがどこにあるか分からなかったときなど、フランス語が話せない私にも片言の英語や身振り手振りで教えてくれた。特に、不安な気持ちでいっぱいだった最初の1週間は、そういった親切な人たちの温かさに助けられた。
リモージュ駅(Limoges Benedicti)
サンテティエンヌ大聖堂
市街地の街並み
私が配属されたのは、リモージュ大学内の研究機関であるXLIM Research Instituteであった。その中でも、マイクロ?ナノデバイスの応用研究をしているMINACOMという部署に配属された。XLIM内では、学生は博士課程の学生のみで、修士課程の学生だったのは私だけであった。XLIM内では、学生数は100人だが、MINACOMは学生が40人、permanent staffの研究者が30人であった。上司として私の指導に当たってくださったCrunteanu先生もpermanent staffの1人である。
今回のインターンシップの研究分野は、日本での研究分野とは異なるものであったこともあり、専門用語や研究のアプローチなど、戸惑うことは多かった。また、私がリモージュに着いた頃には、Crunteanu先生が既に実験のプランをお持ちであったため、実験に関しては、先生の指示通りに動いているだけの期間が長かった。実験の進行状況が思わしくない期間も長かったが、慣れない分野で経験もなく、自分から先生に提案することができないことに悩んでいた時期もあった。そこで心がけていたことは、毎日、その日の実験結果について少しでも自分の意見を先生に言うことであった。実験手法では、なかなか自分のオリジナリティが出せていなかったため、せめて考察には自分の考えを入れたかったからである。ただし、内容が技術的なことであるため、自分の意見を言うには準備が必要で、毎日、寝る前には論文を何度も読んだり、先生がどのような表現をしているかを思い出しながら文章を考えていた。それでも、うまく説明できないことばかりであったが、それによって、この研究分野への理解は早くなったと思う。
研究室メンバー
私が宿泊したのは、リモージュ大学の寮の1つであるLa Borieという寮で、大学のキャンパス内にある。私の職場のあるキャンパスの中にあったので、徒歩5分で職場に行けた。La Borieには、私が宿泊していた建物の他に3つの建物があり、うち2つは私が住んでいたところよりも新しいが、家賃が少し高く、月200ユーロ程度だった。ただし、各部屋にプライベートシャワー?トイレがあり、冷蔵庫もあった。共用のキッチンも、私が住んでいたところよりも大きく電子レンジもあった。
私が住んでいた寮の部屋
毎週木曜日の夜には、寮のキッチンで、パーティがある。各々がビールやワインを持ち寄って、みんなで話をしながら、お酒を飲んだ。La Borieに住んでいた友人の中で、私の職場があるキャンパスに通っている友人はほとんどいなかったため、中には、このパーティでしか会わなかった人もいる。昼間、実験でうまくいかなかったときや英語で、技術的な会話がうまくできなかったときなど、落ち込むことも良くあったが、そんなときは、パーティに行ったり、食堂でみんなと話をして、今の生活を楽しむように心がけていた。
今回、インターンシップに参加して、海外で生活することによって、あらゆる国籍の人々に出会い、あらゆる価値観に出会えたことは、かけがえのない財産だと思う。その反面、自分の英語のレベルの低さを痛感させられる日々でもあった。また、研究に関しては、英語力だけでなく、研究者としての未熟さを感じることも多かった。今は、反省点ばかりが頭をよぎっているが、インターンシップに参加して感じたことを香川大学の他の学生にも伝えていけたらと思っている。